共通言語は本当に共通か?――ITと多文化のあいだで考える“世界を学ぶ”ということ
- P-Lab. Admin
- 2025年12月25日
- 読了時間: 3分
IT教育の現場では、世界を「閉じた系」として捉える傾向が強くあるそうです。

入力と出力、要件と制約、効率と最適化。
定義できる範囲の中で正確に動かすことが、美徳として身についている。
しかし、社会課題の領域に足を踏み入れると、その前提は容易に崩れます。
現実の世界は、明確な境界線を持たず、変数は常に動き、答えが一つに定まりません。
ここで必要とされるのは、「閉じた系」ではなく、「開いた系」の思考です。
エンジニアリング教育の文脈において、この転換は決して簡単ではありません。
論理の積み上げによって世界を説明しようとする習慣は、しばしば不確実な人間や社会のふるまいを捉え損ねます。
そのため、技術と社会のあいだにある“橋渡し”をどう学ぶかが、重要な課題になっています。
こうした背景の中で、SDGs(持続可能な開発目標)はしばしば「共通言語」として扱われます。
17のゴールを指標にすれば、国境や文化を超えて話が通じる――そんな期待が込められています。
しかし、実際の教育現場では、そう単純ではありません。
同じ「目標番号」を口にしても、国や地域によって優先される価値は異なります。
ある国では「貧困の解消」が第一義に置かれ、別の国では「自然との調和」や「成長の抑制」が重視される。
語彙が共通していても、その背後にある世界観や倫理の構造は必ずしも一致しません。
つまり、SDGsは“共通の語彙”ではあっても、“共通の理解”ではないということです。
この“ずれ”をどう扱うかが、学びの本質に関わります。
学びとは、正解を共有することではなく、異なる前提を翻訳しあうことだと言えます。
共通言語という安定した橋を渡るのではなく、互いの前提を確かめ合いながら揺れ続ける仮橋のような営みが、理解の基盤になります。
そのためには、あらかじめ用意された“正しい答え”から一度離れることが求められます。
知識の先取りが学びの安全装置として働く一方で、不確実な状況に身を置くからこそ生まれる洞察もあります。
安定した構造の中では見えないものが、揺らぎの中で初めて見えてくるのです。
技術を教えることと、社会を学ぶことのあいだには、いまだに深い谷があります。
しかし、その谷を越えるのは、特別なスキルではなく、世界を「制御の対象」としてではなく、「関係の網の目」として見つめ直すまなざしです。世界は閉じられた系ではなく、開かれたまま動き続けています。その不確かさを抱えたまま考え続けることこそが、これからの学びに必要な態度ではないでしょうか。
本記事は、ポッシブルワールド「夏の終わりのまなびらき」で行われたポッシブルワールドゲームホストのまっとさんのセッションから着想を得て執筆したものです。
セッションで直接語られた内容ではなく、そこから広がった問いや感覚を言葉として綴りました
ポッシブルワールドを運営する P-Labでは、学びや対話の場を通じて「可能性のある世界(Possible World)」を共に探求しています
どんな世界も、私たちの意識と行動次第


