平均点より「ウェルビーイング」?教育の本質を問い直す
- P-Lab. Admin
- 2 日前
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「平均点を上げるように」
これは、学校現場ではよく聞かれる言葉です。
成績を上げること、数値で見える成果を出すことが、教育の目的であるかのように。
でも、ふと立ち止まって思うんです。
本当にそれだけが、子どもたちの「学び」なのでしょうか?

見える成果ばかりを追いかけて
学校現場を取り巻く方針の多くは、今もなお学力テストや成績といった数値に重きを置いています。
それはある意味、管理しやすく、説明もしやすいからかもしれません。
けれど——
「ウェルビーイング(well-being)」、つまり子どもたちが安心して、心地よく、意味のある毎日を送れているかどうかは、その指標にはなかなか含まれません。
「どうやってそれをチェックするんだろう?」
そんな問いが、対話の中から自然とこぼれました。
実際には、興味関心や意欲、学校生活の満足度などを測る調査も存在しています。
でも、それらが現場の判断や方針にどう活かされているかというと……まだまだこれから、というのが実感です。
子どもの「知らない」が、場を変える
とあるポッシブルワールド・ディスカバリーセッションでの話。
10歳の女の子が参加していて、始まるやいなや、天真爛漫にこう言いました。
“Excuse me! Can I have one hundred dollars?”
突然の発言に、大人たちは一瞬とまどいました。
でもその問いかけが、場の空気を一気に変えたのです。
お金をねだるというより、「私はこうしたい」「これが必要なんだ」という彼女のまっすぐな願い。
それが、大人たちの“かちかちに固まっていた思考”に、すっと風を通したような感覚でした。
子どもの「知らない」「遠慮しない」「試してみる」という力は、大人の世界にとって、かけがえのない刺激です。
未熟な存在ではなく、ひとりの“人間”として、社会を柔らかくほぐしてくれる存在なのかもしれません。
共に学ぶ「人間」として
「子ども中心の社会」という言葉があります。
でも、もう一歩進んで——
「人間中心(ヒューマン・センタード)」という視点のほうが、しっくりくるのではないかという話も出ました。
子どもと大人、教える人と学ぶ人、未熟な人と成熟した人。
そうやって分けてしまうことで、かえって互いの学びを妨げているのではないか、と。
ある学校では、コミュニティスクールの会議に生徒が参加したところ、面白い変化が起きたそうです。
それまでは「どう育てるか」を議論していた大人たちが、子どもが入ったとたん——「子どもの願いをどう叶えるか」に意識が変わったというのです。
そこには、子どもも大人も、それぞれが学び合う姿がありました。
「平均点」では測れないものに目を向けよう
教育は、テストの点数だけで完結するものではありません。
子どもが「分からない」と言えること。
安心して問いを立てられること。
その中で、大人も一緒に考えること。
そうした関係性の中にこそ、教育の本質があるのではないでしょうか。
学校現場を取り巻く方針が、数値ばかりを求める中で——
私たちはもっと「見えない価値」に目を向けていく必要があるのかもしれません。
それは一足飛びには変わらないかもしれないけれど、問いを持ち続けることが、きっと変化の始まりになると信じています。
ポッシブルワールドのホストであり、和歌山県白浜町で2025年度から教育長、町内中学校で理科教諭、教頭、小学校・中学校校長を務めてきた「学校はウェルビーイングなパワースポット」を目指す僧侶でありCWO(Chief Well-being Officer)の西田拓大さんとP-Lab のayaがポッシブルワールド・ラジオの中で語ったお話