三世代同居解消、そして父との帰国。アナログな手続きを通して見えた、日本の「人間らしさ」
- P-Lab. Admin
- 4月12日
- 読了時間: 5分
オーストラリアでの三世代同居、そして終わり
3年前、父と私の家族はオーストラリアのダーウィンで三世代同居を始めました。共に暮らす中で、お互いの些細な嫌な部分や価値観の違いも、日々の触れ合いの中で自然と和らいでいくのではないか。そんな期待を持ってのスタートでした。しかし、いつしか家族の誰もが幸せを感じられない状況に陥ってしまいました。理想ばかりを追いかけていたのかもしれません。ふと足元を見つめると、そこには違いを受け入れられないことから生まれるイライラ、相手に迷惑をかけたくないという遠慮からくる不安が充満していました。
これは、終わりのサインでした。私たちは三世代同居を解消し、父を日本へ帰国させる決断をしたのです(この経緯については、また別の機会に詳しく書きたいと思います)。
父との帰国、そして待ち受ける手続きの波
ダーウィンの地元の人々に惜しまれながら、父を日本へ連れ帰りました。しかし、そこには想像を遥かに超える手続きの波が待ち受けていました。耳は遠く、片目はほとんど見えず、足元もおぼつかない。記憶力も心許ない89歳の父が、一人でこれらの手続きをこなすことは到底不可能です。そのため、私が全てに立ち会うことになりました。
世界的に見ても技術力が高いと言われる日本。しかし、驚くほど多くの手続きが「紙」ベースで残っているのです。世界の潮流であるオンライン化、データ化には、少し遅れを取っているのかもしれません。しかし今回、父との手続きを通して、そのことについて改めて考えさせられる出来事がありました。

区役所での一日:アナログの中に宿る優しさ
父に付き添い、一日がかりの覚悟で区役所を訪れました。
まず目に飛び込んできたのは、様々な課が大きな文字と数字で表示された案内板です。これは、高齢化社会や外国人の方々への配慮として非常に有効だと感じました。それでも、最初に何をすれば良いのか分からず、辺りを見回していると、すぐに担当のスタッフの方が駆け寄ってきて、親切に手続きの流れや必要な書類、提出先などを説明してくれました。
待ち時間はそれなりにありましたが、書類を記入し、指示された場所で待っている間、同じように区役所を訪れている地域の人々の存在を間接的に感じることができました。
誰に言われるまでもなく、整列乗車やエレベーターの片側空けができる日本人。体系的に物事を進めるのは得意な国民性なのかもしれません。区役所でも、各窓口には大きな番号と名前が表示され、順番は発券機から受け取って静かに待ちます。番号が呼ばれれば、どこへ行けば良いのかは一目瞭然です。それでも、戸惑っている人がいれば、すぐにスタッフの方がフォローに入ります。担当の方は、番号を呼ばれた人が分かりやすいように、毎回席を立ち、静かに片手を挙げて待っていてくれるのです。一つの窓口での手続きが終わると、担当の方が次はどこへ行けば良いのか、番号と名前、そして手で明確に示してくれます。
番号や流れをしっかりと整理し、機械的とも言えるほど効率的に仕事を進めながらも、そこには人と人との温かい関わり合いや優しさが確かに存在していました。そして、各窓口のスタッフは、「今日は何をしたいのか」という事務的な質問をするのではなく、「今日はどうされましたか?」と、私たちが区役所で今日達成したいことの背景にある物語に寄り添うような言葉をかけてくれたのです。
手続きを通して見えた「住人」になるということ
区役所での手続きを通して、ふと気づいたことがあります。
人は、今日から突然新しい街の住人になるのではない。だんだんと、住人になっていくのだ、と。
それは、一瞬の切り替えではなく、時間をかけたプロセスです。書類に記入すること、その街の役所のスタッフとやり取りをすること、待ち時間に間接的に出会う同じ街の人々――外国人だったり、赤ちゃん連れの夫婦だったり、仕事で転入してきたと思われるスーツ姿の人だったり、手続きに戸惑いながらもスタッフに助けられている高齢者だったり――。
引っ越してきたから、自動的にそこの住人になる、なんていう単純なことではないのです。人が生きていく場所、それが「町」であり、複数の手続きを通して、一枚一枚の書類、スタッフとの一つ一つの会話を通して、だんだんとその町に受け入れてもらっていく。そう考えると、この自動化されていない、オンライン化が遅れているという状況が、住民たちのささやかな触れ合いを生み出し、待ち時間という一時停止の瞬間に、同じ町に住む人々と出会う機会を生み出しているのかもしれません。もし効率化が進み、全てが自動化・オンライン化された町であれば、この感覚は決して得られないでしょう。ボタン一つで、簡単に住む場所の登録が変更できてしまうのですから。
アナログな手続きが残すもの、そして「人間らしさ」
もちろん、日本が意図的にオンライン化を遅らせているわけではないでしょう。しかし、もしこのアナログな手続きを手放し、オンライン化を推し進めてしまうと、人と人との触れ合いや優しさを肌で感じるという貴重な機会を失ってしまう。そう考えると、あえてこのまま紙での手続きを残してほしいと、少しばかり思ってしまいました。
人間らしさ。効率化最優先という考え方の前で、私たちはこれまでそれをあまりにもないがしろにしてきたのではないでしょうか。AIが驚異的なスピードで進化を遂げている今だからこそ、この「人間らしさ」が、かつてないほど重要な意味を持つように思います。
ポッシブルワールドでのアナログな体験
今、提供しているポッシブルワールドというセッションでも、私たちはこのアナログで手間のかかることを意識して活用しています。静かに目を閉じて、体の中の感覚を確かめてもらったり、思いついたことをあえて、紙にペンで書いてもらったり。あえて、細かく説明せずに、「わからない」に遭遇した時、自分が何をしているのかを俯瞰する機会を設けたり。
ポッシブルワールドにご興味のある方へ
もし、今日お話したようなアナログな体験を通して、ご自身の内面と深く向き合うポッシブルワールドにご興味をお持ちいただけましたら、こちらへ。
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