「できない」から「どうすればできるか」へのシフト:17歳の娘の初単独中距離ドライブと、可能性を開く対話
- 8月5日
- 読了時間: 6分
初心者マークを付けたばかりの17歳の娘が、
「家から50キロ離れた自然公園で友達グループと合流したい。一人で車で行っていい?」
と尋ねてきた。
1時間以上、一人での運転。しかもまだ免許取り立て。郊外の道は時速100キロで走り続ける必要があり、街中のような刺激もないため、どうしても眠気に襲われることもある。
すでに運転の経験を積んでいる大人なら、その「怖さ」を身をもって理解している。しかし、免許を取り立てで経験の浅い十代には、そのリスクの深刻さを本当の意味で理解することはなかなか難しいものだ。
現在、我が家では「もう少し運転の経験を積むまではしばらく、友達を車に乗せない」という約束をしている。もし事故を起こして自分が命を落とすのも大惨事だが、自分は助かり、同乗していた友達だけが亡くなってしまった場合、その重い十字架を一生背負って生きていくことになる。その辛さについては以前から何度も話し合い、娘も同意している。なので、今回も友達を一緒に乗せていくという選択肢はない。
親の葛藤:守りたい気持ちと、摘み取りたくない「可能性の芽」
これはきっと世界中の親御さんたちの共通の想いだと思うが、親として、子供を危険にさらすことは一番避けたいこと。子供がどれほど経験を積もうと、いくつになろうと、親の目からはいつまでも経験不足で危なっかしく見えてしまうもの。大事に思っているからこそ、簡単に「YES」と言えないことがたくさんある。
特に我が家では仕事で山に行くことが多く、長距離運転の経験が豊富な父親が、危なっかしい娘を一人で長距離運転させることに難色を示した。夕暮れ時の郊外は野生動物が道路に飛び出してくることも多いが、もちろん今の娘にその対処経験はない。
もし前輪のタイヤがパンクしたら、すごい力でハンドルを取られる。
その恐怖も、操作の難しさも、彼女はまだ体験していないのだ。
ただ、「危ないから」と動きを止めてしまうことは、彼女自身の可能性の芽を摘み取ってしまうことにもなりかねない。
そこで、私たち親側から一つの妥協案を提案した。
「あなたが運転していい。でも、私たちも同乗していく。目的地についたら、あなたの友達には見つからないように、遠くで見守るから」
もちろん、十代の子供にとって、友達と遊ぶ場所に親がついて来るなんて「かっこ悪い」の極みだ。
私たちも本当はわざわざ行きたいわけではなく、親なりに随分譲歩した提案だったことをシェアした。
それでも、娘の答えは当然「NO」。交渉は完全に行き詰まってきた。
「親と一緒に行くことに同意しないなら、私は行けないってこと?」
話し合いの場に、よどんだ空気が流れる。
沈黙が引き出した、娘自身の「気づき」
そこで、私はこう切り出した。
「よし、じゃあ『行くこと』を目標にしてみよう。両親の心配と、あなたの願い。この両方をケアするためには、どんな案がありそう?」
実はこの時、私の中にはすでに一つの提案があった。これまでの自分の人生経験から導き出した、この状況における最善の策。でも、それを私から提案することはぐっと堪え、沈黙を見守った。なぜなら、娘自身が自分で考え、可能性を探求することこそが最優先事項だったからだ。
すると、間もなく彼女の口からこんな提案が出てきた。
30分ほど運転したところにある町のショッピングセンターで一度車を降りる。
そこで親に無事のメッセージを送り、カフェインの入ったドリンクを買って飲む。
目的地に着いたら、すぐにまたメッセージを送る。
帰りも同じようにする。
これなら、親がついて行かなくても安心を担保できる。なんと、私が心の中で思い描いていたアイデアと全く同じ。
肚落ちするまで対話する
しかし、ここでもまだ一つ小さな懸念があった。
十代というのは、友達と一緒にいるときに、親との約束を思い出して守るというのは、なかなか難しいお年頃。友達に会える嬉しさで浮かれ、メッセージを送り忘れてしまっては元も子もない。
だからこそ、もう一度しっかりと想いを分かち合う対話の時間を持った。
ただプランを決めて同意するだけでなく、
「なぜこのプランを一緒に考えたのか」
「なぜ約束通りに連絡し、休憩を取る必要があるのか」
「無理をせず、眠くなったら必ず車を停めて休むこと」
この重要性について、彼女自身が肚落ちするまでしっかり話し合った。
それは決して、表面的な話し合いの言葉面を捕まえての言葉のやり取りではなかった。その言葉がそこに現れる源にある「想い」もしくは「意図」が、しっかりと共有されたのだと思う。
これで、家族全員が合意。娘は笑顔で友達に「行けるよ!」と連絡するためにその場を離れた。
手を放しても、心は繋いでおく
娘が部屋を出ていくと、やはり父親は「本当に大丈夫だろうか」と不安を口にした。 もっともな心配だ。それでも、二人で会話を続けた。親として今彼女にしてあげられることは何か。
彼女が巣立つ手伝いをしっかりすること。
物理的に手を放しても、心はしっかりとそこに繋げておくこと。
先月キャンプに行ったとき、一度は長距離を運転した実績を思い出し、彼女を「信じる」しかない。
そして翌日。
彼女は朝からせっせと時間通りに家事を済ませ、元気に出発していった。私たちは時間を気にしつつも、「待たずに待つ」心境で過ごしていた。
やがて、「無事、町に着いたよ。今エナジードリンクを飲んでいる」との連絡。そしてその後も、無事に目的地に着いたと約束通りの連絡が来て、私たちもひとまず一段落。
そんな風にホッとしていたところに、スマートフォンに届いたのが、一枚の写真とこのメッセージだった。
"Thank you so much for letting me come out. I know it was difficult for you to let me come but I'm having a really fun time." (行かせてくれて本当にありがとう。一人で行くことを許可するのは大変だったってわかってる。でも、今、本当に楽しい時間を過ごしてるよ。)


ちゃんと伝わっている。
親の想いを受け止め、感謝していることを伝えることも忘れていない。
いい感じに育っている。
太陽の光が降り注ぐ自然公園の風景と、この言葉。
親としての心配や葛藤が、報われた瞬間だった。
日常の対話から見えてくる、社会や組織への応用
自分の意見を強引に通すことでも、どちらの意見が優れているかを評価判断することでもなく、ただ想いを分かち合い、耳を傾け合うこと。そして、「できない」からではなく、「どうすればできるか」から対話を始めてみること。
家族全員で課題を「自分事」として向き合ったこのプロセスは、実は今の世の中のあらゆる場面で応用できる本質的なアプローチだと感じている。
リーダーのあり方、組織や人材の開発、あるいはサステナビリティの浸透など、答えのない複雑な課題に立ち向かう時こそ、この姿勢が問われるものだ。誰かが一方的に正解やルールを押し付けても、人は本当の意味では動かない。対話を通じてお互いの想いを共有し、共に課題に向き合うことで、人は初めて肚落ちを得て、自発的な行動へとシフトしていく。
家庭の中の小さな出来事も、ビジネスや社会の大きな課題も、根本で求められているものは同じなのかもしれない。
Every world is up to our mindset and action.
最初から「無理だ」と諦めるのではなく、周りのいろいろな声を招き入れるような姿勢で対話の場を開き、100%でなくていい、お互いが「そこそこ」納得できる道を探求し続けること。これこそが共創だと思う。こうした日々の小さな実践の積み重ねが、やがて人のマインドセットをシフトし、組織を変容し、私たちの思い描く大きな可能性の世界を開いていくのだと信じている。




