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ゲームの中でペルソナ体験をしたら、世界の見え方が変わった

いつもの自分を、そっと横に置いてみる


発想の転換を促すオンラインゲームコンテンツ「ポッシブルワールド」では、参加者が“なりたい誰か”を演じることがあります。

それは、現実での肩書きでも性格でもありません。

「本当はこんなふうに動いてみたい」「こんな人になってみたい」という気持ちに、少しだけ素直になってみる。

そんな遊び心が、あちこちで息づいています。


ある人は、すべてのカードを手にし、何も相談せずにプロジェクトを動かしました。

まるで世界の全権を握る独裁者のように。

でもその行動の裏には、「一度でいいから全部をコントロールしてみたかった」という、静かな願望がありました。


また別の人は、ただそこに“いるだけ”を選びました。

誰とも交渉せず、自らは何も主張しないという選択。

すると周囲は、その人を気にかけ、自然に手を差し伸べていきました。


このゲームの中では、誰かを演じることが許されています。

むしろ、そうして初めて見えてくるものがあるのかもしれません。


ペルソナ体験


なぜ、人は“別の自分”を試してみたくなるのか

現実の中では、多くの人が「らしさ」や「ふさわしさ」に縛られています。

上司としての自分、親としての自分、あるいは「空気が読める人間」としての自分。

そういった“役割”は、安心をくれる一方で、自分を制限してしまうこともあります。


ポッシブルワールドは、その役割を一度手放してみる場でもあります。

演じているのは、自分ではない“誰か”かもしれません。

でも、その仮の姿を通して、意外なほど多くの「ほんとうの自分」に出会っていく人がいるのです。


「こうなりたい」ではなく、「こうやってみたい」

演じることは、理想を押しつける行為ではありません。

むしろ、「こうしてみたら、どうなるだろう?」という好奇心から始まります。

「何もしないでみたら、誰が動くんだろう?」

「全員にお金を配ったら、世界は変わるのだろうか?」


試すことに正解はありません。

でも、その試みは、プレイヤー自身の価値観や、無意識の欲望、そして思い込みに光を当てていきます。


ゲームが終わったあと、多くの人がこう話します。

「思っていたより、自分は人の目を気にしていた」

「意外と、助けてくれる人がいた」

「一度やってみたかったことが、できた気がする」


そんな小さな発見の積み重ねが、ポッシブルワールドの面白さのひとつでもあります。


ペルソナは、仮面ではなく“願いの形”かもしれない

人は時に、「演じること」を仮面のようにとらえることがあります。

けれど、この場における“ペルソナ”は、仮面ではありません。

むしろ「心の奥にあったけれど、まだ行動に移せていなかったもの」が、形になったものだとも言えるでしょう。


演じたあと、その“誰か”から何かを学び、あるいは少し距離を取ることで、参加者はまた、元の自分に戻っていきます。

でもそのとき、ほんのわずかでも「以前とは違う自分」に気づいていることがあります。


ゲームの中で一度でも“別の誰か”を体験した人は、日常の中でも「選べる自分」が少し増えているかもしれません。


次は、どんな“わたし”になってみようか

ポッシブルワールドは、社会をよくするゲームであると同時に、自分自身の“可能性”を試す場でもあります。


誰かに優しくする人、黙って支える人、思いきって交渉する人。

いつもと違う行動をとってみたとき、人は何を感じるのでしょうか。


ゲームが終わったあと、ふと考えてみたくなる問いがあります。


次にプレイするとき、どんな“わたし”で、世界と関わってみようか。

Mask group

ポッシブルワールドを体験

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