「刺さる」は偶然じゃない──本質に出会う“準備”
- P-Lab. Admin
- 4月9日
- 読了時間: 3分
ある人には深く刺さるのに、ある人にはまったく響かない。
同じプログラム、同じ言葉、同じ場のはずなのに──。

先日、仲間と話していたときに出たのは「刺さるってなんだろう?」という問いでした。
私たちはつい、「何を届けたか」「どう伝えたか」に意識が向きがちです。
けれど、実は「刺さるかどうか」は、受け手の“内側の状態”がすべてなのかもしれません。
気づきは「与える」ものではなく「つまみ上げる」もの
あるプログラムに参加した人が、涙を流すほどに自分の中の何かを見つけることがある。
でも、その隣にいた人には「まあまあだった」としか映らない。
その差は何かと言えば、「本人の内側にすでに何かの種があったかどうか」なんじゃないか、という話になりました。
刺さるというのは、外から強く何かを押し込まれることではない。
むしろ、自分の中に埋まっていた問いや想いが、そっと浮かび上がってくるような現象。
だからこそ、本当に刺さった人というのは、プログラムの中から自分の奥深くにある感情や問いを“つまみ上げる”ようにして反応する。
受け手が、自分自身で掘り出しているんです。
刺さる人に共通する“準備”とは
じゃあ、刺さる準備って何でしょう?
それは「気が満ちていた」という状態かもしれません。
タイミングとか、これまでの経験とか、言語化できないたくさんの要素が重なって、その人の中に「今こそ受け取れる」スペースが生まれていました。
「サウナの後の水」のように、沁み渡るタイミングがあるんです。
どんなにいい話でも、乾いていなければ染み込まないし、どれだけ強く言っても、準備ができていないと心に届来ません。
結局、人は自分のタイミングでしか変われない。
本質に触れたあとの“しんどさ”もまたギフト
ただ、刺さるというのは、気持ちいいことばかりではありません。
むしろ、ぐさっと突き刺さって「何も答えられない」「悔しい」「自分が分からない」と戸惑う人もいます。
でも、その“しんどさ”は、本質に触れた証拠。
なぜその言葉が自分に響いたのか。なぜ答えられなかったのか。
その問いにじっと向き合う時間こそが、変化の入口なんだと思います。
刺さるかどうかは、自分が決めている
だからこそ、「刺さるかどうか」は偶然ではありません。
どんな場にいても、自分自身に問いを持ち続けている人だけが、その一言を受け取れるのです。
大切なのは、“今の自分に向いている問い”を、手放さないこと。
それがある人には、プログラムも、人の言葉も、世界の景色さえも違って見えてくるのです。
本質に出会うための準備は、誰かに教わることじゃない。 自分で問いを持ち続けることから始まる。
そんな「刺さる」体験ができるかもしれないのが、ポッシブルワールド・ディスカバリーセッションです。自分の中に眠っていた問いや違和感に気づき、言葉にできない何かがじんわり動き出す──そんな時間になるかもしれません。
▶ 詳しくはこちらhttps://www.p-lab.world/event-list
このブログの内容は、stand.fmで配信中の「ポッシブルワールド・ディスカバリーセッション体験談」というラジオの中での一部会話をもとに書いています。
お話いただいたのは、大分県佐伯市で海藻の加工卸業や一次生産者支援を行う株式会社ベース代表・平川 摂さん。初めてディスカバリーセッションに参加したリアルな感想や、そこで何が「刺さった」のかをまっすぐに語ってくださいました。
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