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ブログ


種を蒔くように─この可能性の世界で─第3章 つながる根
日々は、静かに流れていった。 世界は、まだ不安定だった。 経済も、環境も、社会も、 完璧とはほど遠かった。 それでも── 人々は、少しずつ変わり始めていた。 ** サクラが、小さな苗木を育てていたとき、 足りない緑の石を手にするために、 そっと手を差し伸べた者がいた。...
4月30日


種を蒔くように─この可能性の世界で─第2章 芽吹きのはじまり
経済は、かろうじて持ちこたえた。けれど、それは安定とはほど遠い。この世界に生きる者たちは、皆、薄氷の上を歩くような感覚を抱えていた。それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。それぞれが、 それぞれにとっての「豊かさ」を目指して、静かに歩き出していった。
4月29日


種を蒔くように─この可能性の世界で─第1章 種を蒔くとき
それは、ささやかな変化だった。
朝の空気に、わずかなざらつきが混じった。
誰かが手に持った端末が、静かに警告を鳴らした。
──経済、2。
サクラが、ふと立ち止まった。
そして、隣にいたコブシにそっと声をかけた。
「……下がってる。」
コブシは、短くうなずいた。
端末の数字を確かめるまでもなく、 この世界のかすかな軋みを、肌で感じ取っていた。
4月28日


種を蒔くように─この可能性の世界で─
空は、淡い灰色に煙っていた。
地平線の向こう、遠い都市の残骸が、陽炎のようにゆらいでいる。
この世界では、経済も、環境も、社会も、 すべてが「3」というかろうじて保たれた均衡にあった。
それは、始まりに過ぎなかった。
誰もがそれを、どこかで感じていた。
けれど、どこまで行けば「豊か」と言えるのか、誰にも教えられてはいなかった。
ある数値がひとつの目安だということを、それとなく知っている者もいた。
だが、それがすべてではなかった。
この世界で、何を持って満足とするかは、ただ、自分自身で決めるしかなかった。
4月28日


「お金ください」と言えない時代に、“もらう”を体験するということ
「もらう」がこんなにも難しいなんて もし、お金がなくなったら 誰かに「お金をください」と伝えるのは、たとえゲームの中であっても簡単なことではありません。 一言を口にするだけのはずなのに、ためらいや気まずさが生まれてしまいます。これは、現代の多くの人が共感する感覚かもしれませ...
4月25日


テクノロジーがひらく、やさしい教育
和歌山県・白浜町。南国のような気候が広がる海沿いの町で、今、ちいさな教育の革命が始まっています。 アロハシャツプロジェクト 「子どもたちが自分の考えを、AIを使って形にしていくんです」 そう語るのは、白浜町で長年教員を務め、2025年度から教育長に就任した西田拓大さん(ta...
4月23日


眠気とスペイン語とRubyと──や、てかそも日本語もあやしい
久しぶりに「ポッシブルワールド」の英語セッションをホスト。カナダ、オーストラリア、日本、台湾から参加者が集まり、セッション前から英語・日本語・中国語が飛び交う多言語空間に。眠い中参加した私は、英語が出てこず、スペイン語で「Tengo sueño」と言ってしまう始末。最近はスペイン語、英語、スワヒリ語に加えてRubyの勉強もはじめようとしており、頭の中が完全に混線状態。言葉って、伝わるようで伝わらない。そのズレも楽しめるのがポッシブルワールドの魅力かも
4月19日


英語は構造を語り、日本語は心を映す?——参加者のことばから見る“気づき”のかたち
同じ体験をしても、使う言語によって、見え方や語り方は変わります。ですが、それは対立ではなく、むしろ「多様性」の証であり、私たちの対話に新しい広がりをもたらしてくれるものです。たとえば、英語では「行動 → 分析 → 気づき」という順序で語られることが多く、日本語では「感じる → 共感 → 気づき」という感情を起点とした語り方が見られます。この違いを聞き合うことで、わたしたちの「これから」はもっと広がっていくはずです。普段、何気なく使っている言葉に少し意識を向けてみると、自分の世界の見え方が変わってくるかもしれません。そして次に誰かと対話をするとき、どんな言葉を使って、どんな風に世界を共有したいか。そんな問いを、そっと心に残してもらえたら嬉しいです。
4月18日


再び社会の海へ出る人へ― 自分を支えるものを探す
「大きな船から外に出るときに、何か自分を支えてくれる“浮き輪”が欲しくなる」 ある対話の中で、そんな言葉が静かに語られました。 転職を考えている人、起業を目指す人、あるいは「今の会社を辞めようか」と迷い始めている人。こうした人たちは今、人生の中で一つの「航路を変える」タイミ...
4月16日


三世代同居解消、そして父との帰国。アナログな手続きを通して見えた、日本の「人間らしさ」
オーストラリアでの三世代同居を解消し、高齢の父と帰国した筆者。待ち受けていたのは、想像以上の煩雑なアナログ手続きだった。区役所での一日、多くの書類と窓口を巡る中で、効率的なシステムの中に息づく、職員の親切な対応に心温まる。番号札で淡々と進む手続きの合間にも、同じように手続きに訪れた地域住民との間に、微かな連帯感が生まれる。オンライン化が進む現代において、あえて残る紙ベースの手続きが、人と人とのささやかな触れ合いを生んでいるのではないか。それは、効率化だけでは得られない、人がその土地に受け入れられていくプロセスそのものなのかもしれない。AIが進化する今こそ、効率の陰に隠れがちな「人間らしさ」の大切さを、アナログな体験を通して再認識した。
4月12日
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